まずは棚卸

自分らしく生きるためにまずは自分の棚卸をしてみるブログです

怒らないけど譲らない姿勢。

今朝、幼稚園のお庭に虫がいた。

息子は虫の観察が好き。

案の定朝のお仕度をせずに虫の観察を始めた。

 

今までだったら、3回くらいは穏やかに注意して、

4回目くらいからは「そろそろ怒るよ~」って感じになって、

最終的にほぼ強制的にやらせる感じだった。

 

だが、今朝は「怒るよ~」みたいな脅しはしなかった。

イライラも怒りもしなかった。

何度も何度も、彼が自分でお仕度に向かうまで、

ずっと伝え続けた。

 

やる前はいったい何回言ったらやるの?!

(どうせ怒らないとやらないんでしょ?!)

という意識があるのだが、

いざ怒らずに言い続けてみると、

まぁ、10~20回くらいで伝わったかな、という感じ。

 

今までわたしが怒って伝えてきたため、

息子の中でも「ホントにやばい時は怒ってくるだろう。」という学習があるだろう。

よって、今朝も「まだ怒ってないからいいかな。」みたいな気持ちが、

伝わってきたが、それには負けなかった(笑)

めちゃくちゃ怒りたくなったが、耐えた!自分を褒めたい!!

 

ずっとうろうろしている息子を追いかけて、

穏やかに伝え続ける自分の姿は、

「子供に言うことを聞かせられない親」とみられているかもしれない。

外で息子が言うことを聞いてくれない時、

そう思われることが1番嫌だった。

いい親でない自分は価値がないと思っていたから。

だから、怒ってでもすぐに言うことを聞かせたかった。

 

でも、そう見られてもいいのだ。

誰かにそう思われても、わたしの人生にも息子の人生にも何の影響もない。

そう思いたい人には思わせておけばいい。

わたしはわたしの道を行くのだ。

 

 

ずっと待つのが苦手だった。

でも、最近ストレスなく待てるようになってきた。

とても嬉しい。

 

自分が色々我慢させられてあまりにもしんどかったから、

息子にはあまり我慢させられなかった。

自分の中の小さい自分がやめて!って言ってくる感覚があるから。

だから、息子が頑張って我慢できた時も、心から褒められなかった。

我慢させて大丈夫なのだろうか?という不安が強かった。

 

でも、わたしがあまりにもしんどかったのは、

前面DVの機能不全家庭で恐怖で押さえつけられて我慢してきたからだ。

「我慢」そのものは何も悪くない。

むしろ適切に「我慢」できるということは、幸せに繋がると今は自然と思える。

 

メンタルが回復してきたことで、

今まで勉強したり経験したりしてきたことが、

いい感じに消化されて身についてきたように感じる。

うまく言語化できないけど、

今までの人生でもがき苦しんできたことから、

少し解放されつつある感覚だ。

 

息子に対して適切に「我慢」を教えていこう。

ゆっくり、焦らず、根気よく。

伝わるまで、怒らず何回も伝えていくのだ、それが親の仕事なのだ。

苦しかったけど、遅くなってしまったけど、まだ年長さん。

これから、いくらでも取り返せる、きっと!

ズル休み2

昨日、幼稚園をズル休みしたことについては、

怒ることなくイライラすることなく過ごせたことに、

すごくわたしの成長を感じる。

 

息子の肩と首が痛い、という主張は否定せず、

具合が悪いなら休もう、

でも、良くなるために休んでるから、

安静にしててね。

と、ことあるごとに穏やかに声掛けすることにより、

彼を傷つけることなく、かつ、

幼稚園を休んで家にいる方が楽しい、と思われることは防げたように思う。

 

今朝は幼稚園に行く気満々だったが、

自分で床に散らかしたティッシュの欠片を片付けるように言われたのと、

幼稚園の準備できた?

の声掛けでいやいや気分がMAXになったのか、

「行くって行ったけど、やっぱり幼稚園行かない!」となった。

 

正直めちゃくちゃ腹立った。

が、とりあえず黙って水を飲み、深呼吸している間に、

夫よ、何か言ってくれ…、わたしはどうしたらいいんだ…。

と念じていたら(笑)、

夫が「ズル休みは良くないよ~」と言い出した。

 

なるほど、夫もズル休みという認識はある、

そして、良くないことだと思っている。

ふむ。わたしもそうは思っているんだ。

だが、どう伝えたらいいんだ?

と悩んだ末に、

「本当に痛いんだったら休んでいいよ、

でも、痛そうには見えないし、

片付けのこととか準備のことを言われて嫌になって言ってるだけに思える。

それは、許可できません。」

と伝えた。

怒らずに伝えたかったが、若干怒りはにじみ出てしまったと思う。

ここ反省ポイントなので、次回は同じような内容をもっと穏やかに、

しかしハッキリと伝えたい。

 

結果、息子はすぐに片づけをし、

準備にも取り掛かった。

わたしもすぐに怒るのをやめ、

片付けた息子を褒め、準備も一緒にやり、

無事登園した。

 

おそらく息子としては、

やはり集団生活が嫌なのだ。

新学期の変化に対応するのも大変だし、

最上級学年になったことで求められることも増え、

注意される機会が今は多く、

彼の中でしんどい気持ちが強い時期のだろう。

 

だが、前の保育園と違って今の幼稚園は集団第一!の考え方ではないし、

先生方と話していて、息子のことを尊重しつつ、

社会でほかの人と共に生きていく上で必要なことを教えてくれていると感じている。

前の保育園だったら、

「あぁ、あの保育園じゃそりゃ行きたくないよね。」と、

わたしが思ってしまっていた部分があるが、

今の幼稚園にそういう気持ちはない。

この幼稚園でダメだったら、小学校は諦めた方がいいと思っている(笑)

 

よって、ここは彼が乗り越えるポイントなのだ、と素直に思える。

彼にとってとても重要な必要な苦労なのだ。

なので、苦労を排除してはいけない、乗り越えるチャンスを奪ってはいけない。

幼稚園には通い続ける必要がある。

だが、幼稚園嫌、集団嫌、社会嫌、ということを学習させてはいけないので、

彼のしんどい気持ちは否定しちゃいけない。

気持ちにはひたすら寄り添う。

 

それを続けていった結果、

きっとどこかのタイミングで彼は乗り越えるだろう、いつだかわからないが。

そして、乗り越えた自分に対して自信を獲得するのだろう。

いつまでも待ってるし、応援してるよ、息子氏!

 

 

ズル休み?

今日息子は幼稚園をズル休みしている。

 

以前不安でいっぱいだった時、

ズル休みは絶対にさせてはいけないと考えていた。

ズル休みが癖になったら大変だ、と心配していた。

 

でも、本当は休みたい日がある気持ちもわかる、

それを受け入れてあげたい、と思う自分もいた。

 

その相反する気持ちの葛藤で、

半ば無理やり行かせても、根負けして休ませても、

どっちにしても罪悪感でいっぱいだった。

 

休ませた時は、自分も仕事があるのに、

相手をしてあげなきゃ、と仕事は後回しにして相手をしたり、

どうしてもやらなければならない仕事がある時はすごくイライラしたり、

とにかく精神的にきつかった。

 

この頃は夫に頼ることができていなかったので、

全部自分でやらなきゃ!といっぱいいっぱいになっていたと思う。

 

昨日は午前中は習い事、午後は公園に行こうと計画していた。

しかし、朝、突然肩が痛いと大泣き。

見た目は腫れてもいないし、事故?の現場は誰も見ていないし、

泣き方もやたら大げさだし、ちょっとウソかな、と思った。

でも、ウソをついてでも泣きたいしゆっくりしたい気持ちなのかな、と受け取った。

 

そこで、習い事はお休みの電話をし、公園の予定もなしにして、

お家でゆっくりした。

お休みの日だし、わたしも夫も一緒に遊んだりゲームしたり、

とても楽しく過ごした。

でも、肩が痛いという状況を前提としているので、

大好きなお相撲や戦いごっこはなし。

ウソは見逃すけど、ウソをつけばなんでも許される、

と学習させるのは良くない。

ウソをついたら、ウソをついたなりの結果を与えれば良いのだ。

それは、お説教をしたりイライラする気分をぶつけることではなくて、

肩が痛い=治るようにゆっくりしていてね、と穏やかに伝えればよい。

 

HSPの、

 

・ルールを守る真面目さ

・ウソを見抜ける&見過ごすのが苦手なところ

・完璧主義

(仕事もちゃんとしなきゃだし、休んでる子どもの相手もちゃんとしなきゃ!)

 

が、子どものズル休み対応を困難にしている、と昨日の1件で理解した。

 

で、今朝。

まだ、肩が痛い、幼稚園は休みたい、と言い出した。

ここで、わたしの中のHSPがめっちゃ顔を出してくる。

 

・ウソっぽく感じる

・幼稚園は毎日行くルール

・今日は仕事だから、休まれると仕事に集中できない

 

正直昨日見逃したんだから、今日は行ってくれよ、と正直思った。

 

だが、わたし1人で判断することはない。

我が家には親がもう1人いる。

そこで、夫に聞いてみたところ、

「具合悪いんでしょ?だったら、いいんじゃない?」

 

ふむ、わたしと全然違う、なんの葛藤もなさそうだ。

まぁ、これでズル休みが癖になったら共同責任という安心感を得たので、

すっきりズル休みさせよう、という決心がついた。

 

 

以前は幼稚園を休んだ時は、仕事をセーブしてお相手していたが、

今日は何を言われても、

「そうだね~、やってあげたい気持ちはあるんだけどね~、

お母さん今日はお仕事だからできないんだ~、ごめんね~。」

「肩が痛くて幼稚園お休みしてるから、横になって体を休めてね~。」

「お話してくれてありがとうね~、お母さんお仕事中だから、

休憩時間にきくね~。」

などと伝えて過ごしている。

 

そんなこと言って言うこと聞くのか?!

どうせバタバタ走り回ったり遊んだりするのでは?!

と予想していたが、ちゃんとソファーに横になっている。

もちろんテレビもなし。

こんなことが可能だったのか…と驚いている。

 

HSPはウソをつくこと自体が苦手な人が多いし、

周りの人に気分よくいてほしいと常に思っている人が多いと思うので、

ウソを見過ごしつつ、本当は少しは一緒に遊べるのにお相手しなかったり、

息子が退屈そうにしているのをほっておくことに抵抗感がある。

が、これで良かったのだ、

と息子の退屈はしつつも落ち着いた様子を見ていると感じる。

こっちから見たらウソっぽくても、

本人はやはりなかなかの本気なのかもしれない。

そう考えると「休みたい。」という気持ちを受け止めてよかったと思う。

 

今日は仕事に余裕がある日なので、

本当は幼稚園の間は自分の時間に使いたかったが仕方ない。

誰かのブログでも読んで無理やり忙しくしよう(笑)

HSP

息子が人の気持ちを察することに長けているのか、

はたまたわたしが感情を表に出しすぎているのかわからないが、

そこが我々の関係性のネックになっていたように最近思う。

 

子どもを産んだ以上、

こうした方がいいよ、ということを教えていくのは親の役目だ。

だが、自分自身が幼い時に我慢して黙って大人の言うことに従わざるを得なかった、

そのことが非常に嫌な記憶として自分の中に残っている状態だったので、

わたしが言ったことに素直に息子が従うと、

非常に複雑なザワザワした気持ちになってしまっていたのだ。

 

良くないことをしていて、

「それは良くないことだからやめようね。」と言われてやめるのは、

何も悪いことではないと思うのだが、

『言うことをきかせてしまった…。』という自責の念が湧いてきて、

イライラしてしまうのだ。

わたしの感情がわかってしまう息子は、

『お母さんに言われたとおりにやめたのに、

お母さんまだ怒ってるのかな?僕はどうしたらよかったんだろう?』

と、息子としては非常に混乱していたことと思う。

 

要はわたしは子どもを上手に叱れない人間だったのだ。

 

もともと人間関係に苦手意識があったわたしは、

思春期以降自己啓発本などを読み漁り、

伝え方や人間心理の知識はあった。

よって、学生時代や会社でも、相手を尊重しつつ必要なことは伝えられたし、

相手もそれなりの年齢以上の人なので、

こちらが気を遣っていれば問題なくいい関係を築けることがほとんどだった。

 

子どもを産むことになって、

『自分の親の対応は嫌だった、ああいう風にはなりたくない。』

という確固たる意志だけはあったし、

子育てはこうすればうまくいく、みたいな本も読んでやり方はわかっていたし、

かなり実践できていたように思う。

 

しかし、相手が自分の子どもとなると話は違った。

人の子にイライラすることはまずない。

だが、自分の子どものこととなると、

おそらくまだ母子分離ができていない状態だったので、

わたしの中の小さかった時のわたしが訴えてくるのだ。

わたしはまだ成仏してねーぞ!!!

わたしはあんなに辛かったのに、誰にも気持ちをわかってもらえなかったのに!!

わたしを差し置いて、おまえ(=息子)が幸せになるのなんて許さない!!

って自分に言われてる感じ。

 

子どもが成長するにつれて、

これをするのは良くないことだよ、と伝える場面は必然的に増える。

おそらくまともなことをわたしはしていたのだが、

叱る=罪悪感、なので叱る場面が増えれば増えるほど、

自分の罪悪感が募っていき、それがすごくすごくしんどい(死にたくなる)ので、

叱りたくない!なんで叱らせるようなことするの?!と息子を責める気持ちになっていき、

結果息子の混乱も高まっていき、

ますます叱る場面が増える、という負のループだったと思う。

 

当時は自分のトラウマが原因だとはみじんも考えたことがなかったので、

なんとか状況を打破しようと伝え方や方法などで解決しようとしていたし、

実際結構解決していてそこまで困り感はなかった。

ただ、自分のことがどんどん嫌いになっていたので、

被害者意識が強くなり、

夫や周りの人のことを素直に受け入れられなくなっていった。

 

からの、保育園での発達相談に繋がっていく。

息子の特性のお陰なのかわからないが、

自分の自責感の原因を見つられたことは大きな前進だったと感じる。

小さいわたしが成仏してくれたかどうかはまだわからないけど、

そんな小さいわたしを客観的に見つめられるようになった。

 

息子は根はやさしく素直な子だ。

ただ、先生などに良くないことをしていて注意されてもやめられないことが多い。

 

良くないことをしてしまっても、

注意されてすぐやめれば許してもらえることがほとんどだろう。

だが、わたしはやめても許してもらえなかったのだ。

謝っても許してもらえなかったのだ。

悪気はなかったのに、むしろ良かれと思ってやったのに、知らないだけだったのに、

こんなことしてなんて悪い子なんだって言われたんだ。

実際、そんなにはっきり言われたことは数回だろう。

でも、わたしは人の気持ちがわかってしまうから。

注意してくる人がわたしに向けている敵意がわかるから。

はっきり言われなくても、わたしを疎んでいる気持ちが伝わってきてたから。

 

悲しかった。

嫌な気持ちにさせるつもりなんてなかったのに。

人をこんな嫌な気持ちにするなんて、

わたしはなんて悪い子なんだろう、そう思って生きていた。

 

息子はわたしが息子を叱るときの罪悪感を感じ取っていたように思う。

叱った後の罪悪感も。

そして、息子を責めるわたしの気持ちは伝わっていただろう。

だから、良くないことをした後、

注意されてやめたのにお母さんはずっと機嫌が悪い。

1回注意されるようなことをしてしまったら、もうダメなんだ。

あ、注意された、もうダメだ、わー(パニック)。

という学習があるように思う。

 

 

トラウマは根が深いので、

とりあえず少し客観視できるようになったからOKとして、

日常生活では注意して罪悪感感じるようなら無理して注意しない。

夫もいるので、そっちに任せる。

もし、自分で注意して息子がやめたら、

「やめたからOK」「もうこの話はおしまい」と、

罪悪感を引きずらずに切り替える。

とかが対応策かなぁ。

要はカラッとできればいいんだけどねー。

 

ただ、ずーっと「自分との戦いだ!」って思って、

自分を変えよう変えようって生きてきたけど、

別に戦わなくていいんだよな~って最近気づいてきた。

これが自分なんだよな~って。

叱るの嫌なんだよ~、なんでも受け入れて(許容量はあるから!)、

みんなでニコニコ暮らしてたい、それが理想なのが自分。

だって、傷つきたくないし、傷つけるのも嫌。

 

でも、傷つくこと自体はきっと悪じゃないんだろう。

そこから学ぶことはたくさんある。

そうやって成長していく。

わたしは傷つくことが多すぎた。

THE・HSPだな、と思う(笑)

 

 

優しい社会になってほしいと思うけど、

別にHSPじゃない人達が優しくないってことでもないのだろう。

彼らにとってはそれが普通なのだから。

今価値観が変わりつつある時代に生きていて、

色々な感じ方捉え方が認められつつあることをうれしく感じている。

勇気をもらう。

わたしも今の自分を受け止めたうえで、やっぱり成長していきたい。

自分のために、息子のために。

発達障害2

発達障害なのでは?ということになって1番困ったのが、

「息子」という1人の人格ではなく、

発達障害の子」としてみてしまうようになったことだと思う。

 

発達障害でよくあるとされる現象全てが当てはまってるように感じたし、

今までかわいいとしか思ってなかった言動も、

「こういうこと言う(する)から発達障害だと思われてしまうのかな」

などという考えが頭をよぎり、純粋にかわいいと思えなくなった。

そんな自分自身が嫌だったし、どんどん自信をなくしていったように思う。

 

保育園から相談された時に、

「え、ご家庭では困ってないんですか?(本当に?!)」

と言われた。

わたしは本当に困っていると感じていなかった。

実際、発達障害と思われる言動があるのは事実だが、

それが彼だと思って受け入れていたので、

そんな彼に伝わるように自分なりに色々工夫していい関係を作れていると感じていた。

 

ただ、わたしは自分の気持ちを人に伝えるのが苦手だったのもあり、

困ってない、ということだけ伝わり、

おそらく息子の問題行動が全くわかってなくて困ってない人、

だと思われていたように感じる。

そして、わたしがHSPかつ機能不全家庭育ちゆえに、

本物の自信がない優等生タイプだったのが災いし、

だんだん保育園の言うことが正しいんじゃないか、という思考に陥っていった。

 

そんな中、コロナが流行りだし、

リモート勤務が始まり、登園も自粛。

もともと保育園に行き渋っていたし、

わたしも保育園で息子の発達についてやり取りすることに疲れて果てていたこともあって、

結局8月末まで登園自粛していた。

 

療育は7月から再開していたので、

そっちは通っていた。

そこで、小学校のことを考えると、

そろそろ保育園に行きだした方がいいかもしれませんね。

というやんわりしたアドバイスをいただいたので、

9月から保育園に再度登園するようになった。

 

療育に行くのを息子は嫌がらなかった。

だから、保育園も大丈夫だろう、なんて考えていた。

ところが、保育園には以前にも増して行きたがらなくなっていた。

新しい担任の先生も、経験があまりないのか性格なのかわからないが、

とにかく息子の対応に困惑していて、

わたしに「どうしたらいいんでしょう??」と聞かれる事態に…。

わたしも家での対応はわかるが、

ただの母親なので集団生活での対応はわからんです…。

ただ、そういう…なんだろう、腫物を触るような態度や気持ちを、

息子は感じ取ってしまう子だから、

それで本人も不安になって問題行動に繋がってる感覚があった。

 

その辺から、保育園だけ行きたがらないのって、

保育園が合わないからでは?と思い始めた。

そういえば、わたし自身も入園式の時から合わないと思ってたし、と。

あと、療育に通う中でなんとなく思ったのが、

息子はすごく相手の人格?をみているようだ。

どーんと構えて、メンタル落ち着いてる穏やかな大人だなー。

と感じられる人にはすぐに心許して指示もすっと聞いていた。

療育の担当の先生はそういう雰囲気の方だったので、

息子には合っていたのだろう。

他にサブの先生方もいらっしゃって、

ちょっと焦りがみえる、というかなんとか息子をコントロールしよう、

みたいな気持ちが表れちゃってる人の指示には反発していた。

そういう、先生との相性みたいなものが息子には大事な要素なのだろう。

 

思えば保育園の先生方は余裕が感じられない方が多く、

保育園全体がいつもピリピリした雰囲気だった。

園児をきつく叱っている場面も何回も見た。

発表会で息子の補助に入ってくださってる先生も、

「なんでこの子ちゃんと言うこと聞かないわけ?はぁ、やれやれ」みたいな気持ちが、

透けて見える先生だったな(笑)

先生一人ひとりは悪い方ではないと思ったけど、

園の体制が良くなかったのだろう。

 

ただ、その時点でも自分から転園を考えるまでは至らなかった。

そもそも保育園は自由に転園できるわけでもない。

だが、療育の先生方にたくさん相談に乗っていただき、

コロナ過でリモートワークになっていたこともあって、

幼稚園への転園はどうですか??と提案していただいて、

一気に「それだ!」となった。

 

そこからは、すぐに近所の幼稚園を調べて、

教育理念に共感できるところがあったので息子と見学に行き、

ちょうど新入園の申込時期だったので、

その流れに乗って申込→面談。

で、11月には新しい幼稚園に通いだした。

我ながらなかなかの行動力だったと思う!

 

転園してもうすぐ半年経つ。

息子は休んだのは1日だけ。

もちろん保育園と違って保育時間や保育日数がだいぶ少ないのだけど、

こんなに違うものかと思う。

 

本人は「保育園の方がマシだったよ」って今でも言う(笑)

わたしからみたらそんなことないけど、

きっと本人の中では本当にそんな感覚なんだろう。

実際、転園して1番良かったとおもっているのはわたしだ。

わたしは保育園で”発達障害の子””どう扱っていいかわからない子”という目で、

見られる息子を見ているのは辛かったから。

 

息子もわたしも変わってない。

だけど、環境を変えてわたしはとても幸せになった。

 

もう卒業になってしまったのだけど、

地域の療育の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、息子のことで悩む間、

色々な本を読んで知識が増えたり、

自分自身を見つめなおして価値観がアップデートできたことは、

これからのわたしの人生にとても価値があるものになった。

そういう意味では保育園に感謝している。

 

今息子は年長、就学前最後の1年。

小学校は多分公立の普通級に行く。

そこで、前の保育園のような対応だったら、どうするのか?

心配はある。

でも、そこは考えてもわからん。

勉強は好きだから、意外と小学校の方が合う可能性もあるし、

先生との相性も大事だろうし。

つらいなら無理に行かなくても、勉強は家でもできるし、

友達とは公園で会えるし、今は選択肢がたくさんあるんだ。

 

だから、必要な準備はしつつ、

過度な心配はいらない。

息子もわたしもこの1年でたくさん成長するだろうし。

入学前最後の1年を親子で思いっきり楽しみたいと今は感じている。

発達障害

息子は1歳から保育園に入ってもらっている。

2歳クラスの時、担任の先生から

「息子がお友達と喧嘩をして手を出してしまった。

一度保育中にこっそり様子を見に来てほしい。」

と言われた。

 

正直、

「え?まだ小さいんだし、喧嘩して手が出てしまうことは普通で、

そこを気持ちを受け止めつつ、やっていいことと悪いことを教えていくのが、

あなた方の仕事では??

一人っ子だし、わたしは休みの日にママ友と遊ぶタイプではないから、

確かに喧嘩の経験は少ないと思うけど、

1歳から保育園に通ってるんだから、あまり関係ないと思いますが??

わたしに保育中の様子を見せてどうしたいんですか??

こんなにひどいんですよ、発達障害じゃないですか?って言いたいのかな?」

と思った。

 

当時はそれなりに自信を持って子育てできていたので、

すごくいきなりに感じた。

確かに保育参観や発表会でみんなと同じにできるタイプではなさそうと思ってたけど、

彼なりに日々着実に成長していることを感じていたし、

彼と心が通じている感覚があったので、

学校生活は苦労するだろうけど、社会で生きていけないレベルではないだろう、

と考えていた。

 

一方、息子が入れた保育園は新設の園。

全然希望してた園ではないけど、そこしか入れなかったのだから仕方ない。

 

<当時も思ったし、今も更に強く思っているが、

認可保育園を選べないのはとても良くない制度だと思う。

この多様化の時代に、家庭の子育て感も様々な中、

自分の家庭と子育て方針が合ってない園に入れられるのは、

家庭にとっても保育園にとってもいいことがない。

待機児童の問題は徐々に解決していってると思うので、

次は選んで入れるようにしてほしい。

わたしはもうお世話になることはないと思うけど。>

 

入園式で、

「あ、ここはうちの子育て方針と合わないな…。」

と感じた。

先生は最初は年代のバランスも良かったけど、

ベテランっぽい先生はどんどん辞めていき、

残った若手の先生も毎年5人とか辞めていくような保育園だったので、

労働環境が良くないことも察せられた。

毎月何かしらの行事があって、

お迎えに行くと先生がいつも行事の準備をしていて、

行事なんていらないから日々の保育に労力を使ってほしいと思っていた。

先生1人1人は一生懸命働いてくださっていたと思うが、

保育園の方針で明らかに保育の質は悪かったと感じる。

だが、行事がいっぱいあった方がいいわ、というご家庭には好評なのだろう。

やはり選択できない制度であることが問題だ。

 

さて、担任の先生から話があった夜、

夫に伝えて不安で泣いた。

そしたら、夫は保育園に電話してくれて、

この話はなかったことになったw

わたしは次の日

発達障害だと思うなら、ハッキリ伝えてくだされば、

療育機関に相談したりします。」

と言ってみたが、

「いえいえい、そういうのではないです。

ご心配おかけしました。」

という回答だった。

保育園側からハッキリ通達するのはタブーなんだろう。

 

それで何事もない日常に戻ったのだが、

その日からなんとなくの不安が心に芽生えたと思う。

 

約1年後、息子年少の12月。

昨年の担任の先生とは別だが、

また担任の先生から発達の相談があった。

その時、仕事が忙しくて鬱っぽくなっていたし、

相談をされるのは2回目だったので、

もうそんなに言うなら発達相談に行きますよ、行きゃいいんでしょ、

という感じで住んでる地域の発達相談に電話。

発達検査受けて、確かに凸凹ある。

IQは非常に高いので知的には問題ない、むしろ頭はいい。

頭でわかってるけど実際できることに差が大きいからストレスは大きいのかな、

と思った。

で、だからなんなんだろう?と。

うん、知ってたよ、って感覚だった。

産まれた時から見てたらわかる、もうとっくに自然に受け入れてたわ。

 

でも、驚いたのが、

「あぁ、やっぱり普通じゃないと社会に受け入れられないんだ。」

って感じたこと。

息子が発達障害かどうかとかじゃなくて、

そこにショックを感じた。

別に何かできないことがあったって、

生ぬるくそこにいさせてくれないんだろうか。

無理に成長させようとしてくれなくていいよ。

だって、彼のペースでちゃんと成長してるから。

今この瞬間切り取って集団行動が苦手だと、

同じ場所にいることさえ、ダメなのだろうか。

わたしは社会に否定されてしまったのだろうか。

 

アダルトチルドレンHSPで人格形成の土台がボロボロだったけど、

自分で勉強した知識や頑張った経験、能力、肩書でなんとかつくってた自信が、

崩れ落ちていく感覚だった。

小さいときから、怒られないように失敗しないように、

普通にできるようにずーっとずーっとがむしゃらに頑張ってたのに、

周りに受け入れられてないと感じていた頃のわたしに一気に戻ってしまった感覚。

 

そこから、不安でいっぱいになってしまったわたしは療育に行くと決め、

夫は必要ないんじゃない、という意見で、

ちょっと前までわたしも必要ないと思ってたのに、

あぁ、夫とは意見が合わないのか…。なんて勝手に失望したりしつつ、

療育通いが始まった。

 

療育に通いだしたら、

保育園の先生はすごくうれしそうだった。

ご相談して実際に検査受けたり療育に通ってくださる方っていなかったんです。

1回行っただけでも、息子くん、変化ありましたよ!

だそうだ。

まぁ、いろんな考えの人いらっしゃるしね、

わたしはどうしても優等生になってしまうから行ってしまっただけです。

 

先生方になんの悪気もないのはわかるんです。

発達障害って気づかずに2次障害になったら大変だから、

早めに発見してあげよう、みたいな。

ただ、正直思うのは、

発達障害だと2次障害になるような社会をどうにかした方がいいのでは、ということ。

なぜ日本は子どもをどうにかすることで問題を解決しようとするのだろう?

障害ってわかってないと診断されてないと、優しくしてもらえないのだろか?

障害があろうがなかろうが、

誰だって苦手なところと得意なところがあって、

お互い助け合って生きていくのではダメなんだろうか?

 

療育に通って1年くらい経った。

通ってた保育園も辞めて、教育理念に共感できる幼稚園に転園した。

転園したら、悩みなくなったよ。

でも、小学校に入って理解がなかったら、怒られるのかなと思って、

療育を続けているところがある。

 

ただ、最近、彼は外で怒られること自体はあまり辛く思ってないっぽく感じる。

彼が怒られることによって、わたしが動揺したり不安に感じることの方が辛いようだ。

しかも、最近読んだ本に書いてあった研究成果に、

めちゃくちゃ甘やかして育てようが、

めちゃくちゃ厳しく虐待して育てようが、

お母さんと社会が”それでいいんだ”と信じて育てていれば、

子どもはまっすぐ育つのだ、と。

 

虐待をしてもいいとは全く思わないけど、

要するに

「ちょっとでも厳しくしたら虐待って思われるのかしら?」

「甘やかしてるとわがままになるって言われるけど、優しくしてはいけないのかな?」

「このままだと一生自立できないの?」

などと母親を不安にさせる環境がダメってことでは?

ただ、今は情報化社会だし、多様性の時代だし、

人に言われたこと、マスコミやSNSの発言に、

いちいち不安になる自分を変えていかなきゃな、と感じる。

 

なので、外から何を言われても、

ドーンと構えてられる自分軸の構築が目標!

もー、自分軸とか小さいころから育ててくれたたら、

こんなに苦労しないのにー、あいつらーwww(直接的には親や学校、

でも、その根本原因は国な)。

でも、こっからやるしかない!

息子のために直接何かするだけじゃなく、

自分が成長することで息子の自分軸も大切に一緒に育っていけたらいいな^^

喧嘩が下手くそ

虐待サバイバーだからなのか、

基本的に相手が「正」、自分が「誤」という関係性になりがち。

でも、自分が大切に扱われなかったら怒ってもいいんだ、

思ってることは言ってもいいんだ、

って最近思えるようになってきた。

 

というのも、

今朝夫と些細なことで喧嘩したのです。

息子の水筒をロックし忘れてたら、

たまたま息子がぶつかって倒しちゃったはずみにお茶がドバーッ。

「なんでロックしてないのっ?!(めちゃ怒)」

「あ、息子くんは悪くないからね。(お母さんが悪い)」

 

確かにロックしてなかったのは私だが、

そんなに怒られることだろうか?

幸いお茶だから拭けば済むし、

毎日毎日ロックし忘れてお茶がこぼれてるならまだしも、

今日たまたまロックし忘れ、そしてたまたま息子が当たっただけだ。

 

一昔前だったら、

ロックしてなかった自分が悪いからこんなに怒られてるんだ…、

ごめんなさい…、

でも、わざとじゃないのにすごく怒られて辛い…、

って思うだけで、とりあえず謝ってモヤモヤしていたと思う。

 

でも、今日は言い返したよ。

「確かにロックしてなかったのは悪かったけど、

そんなに怒られること?!」

 

言い返してみて気付いたこと。

わたしもそんなに怒ることなかったなw

次は笑いに変えて返してみよう。

なにかし忘れちゃうことなんて誰にでもある。

自分が自分を認めてあげられてれば、

相手が怒ったって何言われたって堂々としていればいい。

 

夫もあんなにお茶がドバーッてなったのは初めてだから、

慌ててしまったのかもしれない。

とはいえ、とある予定変更の連絡したLINEを未読スルーしてるあたりが、

怒ると長くてめんどくせぇ奴だな…と思うw

 

 

彼はわたしと結婚する前、

それまで付き合ってきた人とほぼ喧嘩をしたことがない。

不満は溜めて満杯になったら別れるスタイルだったと聞いた。

なので、喧嘩が下手くそなんだと思う。

わたしも、喧嘩になったら自分が謝ってやり過ごしてきたから、

お互い喧嘩下手w

 

わたしは喧嘩そのものが嫌いだった。

両親が罵り合っているのをいつも怯えながらきいていたから。

自分の意見を言って争いになるくらいなら、何も言わない方を選んだ。

だから、彼はわたしといるのが居心地よかったし、

わたしも彼といると喧嘩がなくていいなって思って結婚した。

 

でも、子どもが産まれたら、

思い通りにいかないことばかり。

方向性の違いも生まれる。

違ったまま離婚する人も大勢いる。

わたしたちはどうなるだろう。

 

些細な喧嘩でこんなに考えちゃうわたしと、

ちょっと怒って言い返されたらずっと怒っちゃってる夫。

最終的にどうなるかはわからないけど、

今1番の目標は上手に喧嘩できるようになることw

 

夫婦も家族もきっと成長できるはず!

ダメだったらその時考えよう!